NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が、快調に放映されています。面白いドラマ作りの名手・脚本家の三谷幸喜の手にかかり、一般的には暗いイメージのある武家社会の誕生の歴史が、エンターテインメント(娯楽)として描かれています。

 「鎌倉殿」とは、源頼朝(1147~1199年、満51歳没/配役・大泉洋)のこと、鎌倉幕府の初代征夷大将軍として武士の時代を切り開いた人物です。

 その死因について定説はありません。ただ、落馬して暫く後に亡くなったことは確かなようです(鎌倉幕府の正史『吾妻鏡』など)。

 1198年12月27日、相模川で催された橋の落成供養からの帰路、落馬して、その後、約20日を経て死去しています。この間に様々な奇行が見られたことにより、頼朝に殺された義経や滅ぼされた平家一門の祟たたりによるなど、種々の説が提示されているようです。医師である作家の山田風太郎による『人間臨終図鑑』(徳間書店、1986年)には脳出血や「政子に殺された」という記述があり、同じく医師・作家の篠田達明による『日本史有名人の臨終図鑑』(新人物往来社、2009年)には「首の骨を折って頚髄損傷を起こした」と推察されています。

 筆者は、慢性硬膜下血腫による死亡が有力と考えています。

 つまり、「馬(体高1.4~1.8m辺り)から墜落した際に頭を打つ。頭蓋骨の下にある脳を含む3つの膜(硬膜、クモ膜、軟膜)のうち、一番外側にある硬膜と脳との間(硬膜下)にある静脈(橋静脈)が破れ、約20日の間にジワジワと出血して血腫ができ、徐々に脳が圧迫されて様々な症状(頭痛、吐き気、マヒ、人格の変化、物忘れ、精神症状など)をきたす。現代医学では、外科的手術により一命を取り止めることができるが、鎌倉時代当時には、その正確な診断や治療もできなかったために、頼朝は死に至った」(武藤芳照著『あの人も転んだ この人も転んだ―転倒噺と予防川柳―』〈三恵社、2021年〉より引用)のではないでしょうか。

 高齢者(脳が萎縮しており、若い時に比べて橋静脈が張った状態にあるため、わずかな外力で破れやすい)がよろめいたり、転倒して「ちょっと頭を打った」程度でも、後に慢性硬膜下血腫を起こすことは決して珍しくはありません。したがって高齢者が頭を打った後、数週間は要注意なのです。

 「鎌倉殿」の最期がドラマではどのように描かれるか、三谷流の死因解釈を視聴するのを、今から楽しみにしています。


武藤芳照 著 『あの人も転んだ この人も転んだ―転倒噺と予防川柳―』三恵社、2021年2月発刊


イラスト:久保谷智子(同書から引用)

 

転倒予防 面白ゼミナール Archive