伝説の落語の名人と言えば、三遊亭圓生(えんしょう)(1979年、79歳没)。桂文楽、古今亭志ん生、柳家小さんと共に、昭和期の落語界を代表する落語家で、人情噺から怪談話まで、多彩なジャンルの落語を演じて人気を博しました。

 実は、圓生は、転倒がきっかけで落語家になったのです。

 幼少期は、「豊竹(とよたけ)豆仮名太夫(まめがなだゆう)」の名で、子ども義太夫(ぎだゆう)(母親が三味線を担当)の芸人として寄席に出演していました。

 1909(明治42)年、9歳の頃、地方巡業で訪れた群馬県伊香保温泉の石段で転び、胸を強打したことから、医師に義太夫を語ることを止められてしまいました。

 そのため、子ども義太夫から落語家に転向することになりました。

 もし、圓生がその時、石段で転ぶことがなければ、時代を代表する名人落語家は生まれなかったことでしょう。

 そう言えば、「転向」の転は、「転ぶ」の意味の漢字です。宗教・思想などを変えることも「転向」と言ったり「転ぶ」とも言います。人生の方向転換を余儀なくされた圓生ですが、結果、歴史に名を残す名人落語家として、今も根強いファンが居るのです。

 ちなみに、転倒による人生の転向の例としては、ジャイアント馬場(1999年、61歳没)があります。元読売巨人軍のプロ野球選手(投手)でしたが、22歳の時に、宿舎の風呂場で誤って転倒し、からだごとガラス戸に突っこみ(身長2m、体重130㎏超え)、割れたガラスにより、左肘を大ケガしたために、左手指の運動障害をきたしたことから球界を去ることになりました。その後、「16文キック」などの得意技を売りにしたプロレスラーやタレントとして活躍したのです。

 転倒は、人の人生を変えるほどの大きな影響を及ぼすのです。

 

[引用図書]

武藤芳照 著 『あの人も転んだ この人も転んだ―転倒噺と予防川柳―』三恵社、2021年2月発刊

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