「禍福かふくあざなえる縄の如し」「人間万事塞翁さいおうが馬」「ピンチの後にはチャンスあり」、「止まない雨はない」「朝の来ない夜はない」「神は乗り越えられない試練は与えない」「耐えて咲く」など、困難な事態に遭遇しても、何とかそれを克服しようと努力すれば、良い方向に進むことができるということを教えてくれる格言や名言が多くあります。
 転倒予防の観点から、しばしば引用するのが「七転び八起き」(ポルトガルには、そっくりな表現があるようです)、「つまずいたっていいじゃないか にんげんだもの」(相田みつを)、「転んだらおきればいいや」(小畑延子)などです。

 高齢者が転倒すると、大腿骨骨折や頭部外傷をきたして、寝たきり、あるいは要介護状態に至ったり、時には死に至ることもあります。「書の詩人」とも呼ばれた相田みつを(1991年、67歳没)も、道路で転倒して足の骨折をきたして入院しましたが、脳内出血により亡くなったようです。相田のように、転倒を原因として死に至る高齢者が多いことは確かです。
 そのため、「高齢者の転倒は大変だ」「年を取って転ぶと怖いらしい」「高齢者が転んだらおしまいだ」などの会話がよく巷では交わされます。

 しかし、両腕の肘から先のない書家、小畑延子さん(5歳の時の事故により損傷)は、「転んだらおきればいいや」と、残された両腕に大きな筆を挟み、からだ全体で人生哲学を書きました。
 先般、都内・京橋のギャラリー「アート・紀文」で小畑さんが個展(作品集『撓-SHINAU-』の出版記念展)を開いていることを知り、会場を訪れご本人と面談する機会がありました。

 実は、私が『転倒予防-転ばぬ先の杖と知恵』岩波書店、岩波新書、2013年刊)を発刊した時に、小畑さんの書「転んだら起きればいいや」(兵庫県立リハビリテーション中央病院)の写真を提供・掲載させていただいたご縁があり、その御礼を兼ねての訪問でした。

 とても80歳とは思えない凛としたお姿、かつ終始穏やかな笑顔を絶やさず、作品「撓」の書そのものの「しなかやな生き方」を自然に感じさせるお話ぶりが印象的でした。展示されていた「縁」「禍福」「生きてゆく」「おもしろい」などの作品もたいへん魅力的でした。

 医学の立場から、転倒予防に関わって四半世紀が過ぎました。転倒に伴う障害・事故を低減・予防することの大切さはますます深く認識すると共に、一方で「人生の転倒予防」の達人たちに出会うのもうれしいひとときなのです。

 

書家  小畑延子さんの作品「転んだら起きればいいや」

武藤芳照著『転倒予防-転ばぬ先の杖と知恵』(岩波新書、2013年)より引用

 

 

小畑延子書作品集 『撓』
(皓星社, 2023年3月16日発刊)

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