「生きてゆくのがつらい日は、おまえと酒があればいい」から始まる川中美幸さん(68歳)のミリオンセラーの演歌『ふたり酒』(たかたかし作詞、弦哲也作曲、1980年リリース)。市井に生きる庶民の応援歌として『二輪草』と共に今も歌い継がれている名曲です。

お好み焼きのイラスト その川中さんが歌手としてまったく売れなかった時代から強力な応援団長であった母・久子さん(2017年、92歳没)は、大阪府吹田市でお好み焼き屋さんを切り盛りし(後に80歳より東京都渋谷区で出店)、まさしく物心両面で川中さんを支え続けました。手首を骨折しても絆創膏を貼って「大丈夫や!」と言って過ごすほどの「元気印の母」であったのですが、米寿(88歳)の頃、心筋こうそくを患い手術を受け、その後、亡くなりました。

 久子さんの最初の症状を訴えは、「なんかしんどい」「背中と肩が痛いとうてなあ」であったそうです。病院の検査で心筋こうそくと告げられた川中さんは、ビックリ! まさか亡き父と同じ心臓の病気とは思いもよらなかった、と(毎日新聞2023年9月29日朝刊、「見過ごされてきた性差/『背中痛うて』心筋梗塞」、堀智行の記事参照)。

心臓発作・心筋梗塞のイラスト 一般的には、特に男性の狭心症や心筋こうそくでは、胸の痛みを訴えるのが定型的です。しかし、時には背中や左の肩の痛みを訴えることがあります。とりわけ、女性の場合、こうした「非定型的」症状が少なくないのです。心臓の栄養血管である太い冠動脈3本のいずれかが動脈硬化のために、流れが悪くなったり(狭心症)、完全に詰まって心筋が壊死する(心筋こうそく)ことで、痛みをはじめ、さまざまな症状が出てきます。

関節痛のイラスト(肩) 注意しなければならないのは、胸の痛みばかりではなく、川中さんの母上のように、「だるい」といった全身倦怠感、背中や肩の痛みで始まることもあるのです。

 こうした痛みの原因となる部位とは別の部位に感じる痛みのことを「関連痛」と呼びます。複雑な痛みの神経回路に起こる「神経の勘違い」かもしれませんが、決して珍しくはないのです。

 痛みと主な症例については以下のとおりです関節痛のイラスト(背中)

 病院の整形外科の外来でも、腰痛を訴えてきた患者さんに対して、腰ばかりを丹念に診ていて、危うく尿管結石を見落としかけた事例や、右肩のコリに対して電気療法や運動療法を施して、胆石の発見が遅れてしまった事例などについては、私が医学生の頃に、講義や実習でしばしば教えられたものです。

 こうした関連痛の知識を知っていれば、心筋こうそくなどの病気を早く発見して適切な治療を施し、また早く元気に回復できる人がきっと多くいることでしょう。

 「雪がとければ 花も咲く
   おまえにゃ きっとしあわせを」(『ふたり酒』三番)

 痛みはからだの警告信号です。一人ひとりの健やかで幸せな日々のために、肩や背中の痛みにはくれぐれも要注意です。

 


執筆者:武藤芳照
(東京健康リハビリテーション総合研究所 所長 / 東京大学名誉教授 / 医学博士)
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