グランドピアノのイラスト 「ピアノマン」や「素顔のままで」の大ヒット曲で知られ、米国を代表する歌手のビリー・ジョエルさん(76)が、「正常圧水頭症」のため、今年から来年に米国や英国で予定されていた公演を中止して治療に専念することとなりました。

 正常圧水頭症、正式には「特発性正常圧水頭症」(idiopathic Normal Pressure Hydrocephalus:iNPH)と言います。「特発性」とは、ケガや他の病気が原因で起こるのではなく、原因がよくわからないという意味です。「水頭症」には、タイプがあり、子どもに起こるものと、高齢者に起こるものとがあり、超高齢社会で注目されるようになったのが、ビリー・ジョエルさんも発症したiNPHなのです。脳や脊髄を保護する水分である髄液がたまりすぎて、脳が圧迫されていろいろな症状をきたす病気です。

 日本転倒予防学会の前身の転倒予防医学研究会で、京都の脳神経外科医・石川正恒医師が、この病気のことを研究集会で発表して以来、転倒予防の領域で本症が知られるようになりました。私自身も、本症について、それまで全く知識がなく、「転倒予防の世界は広い」と改めて認識させられたものです。それ以後、日本転倒予防学会でも本症の課題認識は継承され、学会理事であり、2022年10月の学術集会会長も務めた鮫島直之医師(東京共済病院脳神経外科部長)が、臨床・研究・社会啓発に努めています。鮫島医師の近著『よくわかるiNPH(特発性正常圧水頭症)』(法研、2023年)に、詳細が分かりやすく紹介されています。

 本症の特徴は3つ。

■歩行障害:小股、すり足、がに股で歩くようになり、転びやすくなる。

■認知障害:認知症によく似た症状、意欲がなくなり、無関心になる。「ボー」とする。

■排尿障害:頻繁にトイレに行きたくなり、間に合わないこともある。

 困ったことに、これらの症状が、一般的に高齢者が「年だからしかたない」と、半ばあきらめてしまうような症状とよく似ていることです。そのために、本人も家族もそのまま放置していて、発見が遅れる傾向にあるのです。

足腰が弱い高齢者のイラスト(男性) 徘徊するお婆さんのイラスト(認知症) 頻尿のイラスト
転びやすい 認知症 頻尿

 本症と正確に診断されて、適切な治療(L-Pシャント手術<腰からカテーテルを挿入して、お腹の空間に髄液を流して交通を良くする手術、脳そのものに操作を加えないため、高齢者にとっても負担が少ない>など)が行われれば、症状は改善して、意欲も回復し、日常生活の不便さもなくなり、転倒することもなく元気に外出もできるようになるのです。「手術で治る認知症」と呼ばれることもあります。

 ビリー・ジョエルさんも、是非元気になって、彼らしい「素顔のままで」になって、再び素敵な歌を聞かせてくれるのを待ちたいものです。


執筆者:武藤芳照
(東京健康リハビリテーション総合研究所 所長 / 東京大学名誉教授 / 医学博士)
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