映画や舞台で活躍し、「無名塾」(東京都世田谷区、1975年創設)で幾多の俳優(役所広司、若村麻由美、益岡 徹、滝藤賢一ら)を育てた文化勲章受章者の名優仲代達矢さんが、11月8日に92歳で亡くなった。映画好きの私が特に印象に残っているのは、「人間の条件」・「切腹」(小林正樹監督)、「椿三十郎」・「天国と地獄」(黒澤 明監督)、「金環蝕」(山本薩夫監督)などだ。大柄の堂々たる体格、鋭い眼光、高音から低音にわたる響きのある大きな声、繊細な表現からダイナミックな演技など、映画と舞台で圧倒的な存在感とオーラを発揮した。

  運動器の健康・日本協会(東京都文京区、理事長/松本守男慶応大学整形外科学教授)の業務執行理事を長く務めて様々な活動を継続しているが、その機関誌『Moving』(Vol.8,2013 Spring)の企画で、この名優仲代達矢さんと対談したことがある(取材・文:松瀬 学/現・日本体育大学教授、写真:寺門邦次)。その中に、仲代さんの人生観、役者としての矜持、肉体を維持するための努力・工夫、アスリートのように巧みに自身のからだを操る才能、そして運動器の大切さが多く語られていた。

 「からだを上等の楽器にするためには、まず肉体です」「役者はアスリート的な部分が多い」「役者になろうと思った時から、常に肉体訓練をしてまいりました」「元気の源は、バランスの取れた食事と運動(水中散歩)」「役柄によって歩き方を変えていく。・・歩き方は3年ぐらいかかります。基礎訓練で。」「どうせ人間、生まれて、生きて最終的には死ぬわけですから、生きている間は “生き生きと生きよう” と。」「でも、戦争が起きたら困るゾという怒りだけは残しておこうと思っているんです」「一緒に祝った最後の結婚記念日。死を覚悟した妻(女優・演出家/脚本家・無名塾創設者/宮崎恭子さん、1996年65歳で死去)の色紙には、こうあった。<美味しい人生をありがとう>と。」

 対談は、無名塾の稽古場で行われた。壁の上には、宮崎恭子さんの遺影が語りかけていた。外に出ると前にあるのが無名坂。外壁のプレートにはこう書かれていた。「若きもの 名もなきもの ただひたすら 駆けのぼる ここに青春ありき 人よんで無名坂」。90代になっても、青春の志を抱き続けて、駆け続けた名優であった。

2013年4月12日(金)、無名塾にて(東京都世田谷区 )


執筆者:武藤芳照
(東京健康リハビリテーション総合研究所 所長 / 東京大学名誉教授 / 医学博士)
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