パラリンピックの競泳女子で金メダル15個を獲得し、「水の女王」と呼ばれ、障がい者スポーツの普及・啓発と共生社会づくりにも多大な貢献をした成田真由美さんが、9月5日に肝内胆管がんのため、55歳で亡くなりました。川崎市での告別式に、多くの水泳仲間たちと共に、参列しました。水泳を通じて、そしてお互いネコ好きということもあり、随分と親しく交流させていただきました。  

 私が、東京大学教育学部長を務めていた2009年6月、新たに設立された「バリアフリー教育開発研究センター」の設立記念フォーラム(於:安田講堂)にも、登壇していただきました。そして、長年、彼女のマネージャを務めていた棟石理実さんは、ご縁により、現在当リハ総研の一員として、活躍してくれています。

 成田さんは、中学生の時に、横断性脊髄炎をきたして、下半身まひの車いす生活となりました。車いす姿では、あまり推し量れないのですが、実は背が高く、当時はバスケットボール部で活動していました。思春期に降ってわいたように生じた中途障害を、少なからぬ葛藤や心痛を経験し、ついにはそれを受容して水泳に打ち込むようになったと、ご本人から伺いました。股関節障害への対応など、医学的な支援が必要な折々に協力をしてきました。

車椅子のイラスト「赤」

 全国各地を講演で巡り、洋服とカラーコーディネイトした車イスに乗って、舞台上を自由に動きつつ、明るい笑顔で語りかけるエネルギーと情熱は、人々を魅了していました。

 

眼鏡とメガネケースのイラスト 「私はこうして車いすに乗っていますが、これは特別なことでしょうか。私はそう思いません。視力の低い人がメガネをかけるのと同じです。私は足が不自由だから車いすに乗っているだけです」(『からだを育む』武藤芳照・太田美穂著、p103、丸善、1997年)という訴えは、多くの聴衆の心に響いていました。

 私が初代理事長を長く務めた日本転倒予防学会においても、名誉会員としていろいろな形で支援・協力していただきました。

 まだまだ国内外で、大いに活躍していただきたかったスポーツウーマンでした。無念の極みです。

 成田さんの努力と苦労のおかげで、共生社会づくりの道は随分と拓けてきたように思います。丁度、第3代のスポーツ庁長官には、10月より、パラ水泳の河合純一さんが就任することが公表されました。成田さんには、天空から、これからの水泳界そして日本社会の発展を見守っていてください。そこでは車いすから立ち上がって。

リオデジャネイロ・パラリピック前に開催した「成田真由美さんとそのサポート・スタッフを励ます会(2016年7月21日(木), 学士会館)にてスピーチをする筆者を見つめる成田さん。
(後列左がリハ総研所員の棟石理実さん、右端はリハ総研理事でもある内田泰彦医師)

 


執筆者:武藤芳照
(東京健康リハビリテーション総合研究所 所長 / 東京大学名誉教授 / 医学博士)
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