#02「人は転ぶもの ― 五木寛之さん ー 」
私が理事長を務める、日本転倒予防学会 学術集会の市民公開講座兼中野区介護予防講演会が10月11日(日)に、中野サンプラザにおいて行われ、作家 五木寛之さんが「どこを向いて歩くか」のタイトルでお話いただいた。
春からのコロナ禍の中、12本の講演会がキャンセルされたようで、久々に生の参加者約100名(密を避け、感染防止策を実施)を前にして、かつライブ配信で全国の学会参加者に向かって、1時間、起立したままでのお話であった。
米寿(88歳)を迎えた年齢を感じさせない凛とした話しぶりで、関心事の一つである転倒についての講演、しかも、青春時代の想い出の地である中野の会場で、楽しみにされていたとのこと。
<以下講演の要旨>
転倒は骨折などの大ケガや寝たきりを招き、悪いこと、避けたいことの一つとして、一般的にはとらえられているが、「人は転ぶもの」ということを念頭におき、予防を図ることが必要だ。人は思想・宗教など様々な場面で転ぶ(転向する)。転ぶということは、そうした思想・文化などとも関連する人生の大きなできごとだ。
実際の転倒については、どう転ぶかを考えることが大切で、たとえば前に転んで手を突いて手首の骨折をする例が多いが、手首の柔軟性を高めるために、日々手首のストレッチングを続け、随分柔らかくなり、これなら万一転んでも、大ケガをしないのではと思う。
「無病息災」という言葉があるが、「一病息災」の方が好ましい。からだに一つくらい病や障害があって、それを意識しつつ、自分なりの養生法を無理なく継続することで、あと10年長生きできればと考えている。
コロナ禍で、世界は感染症を制圧するかのような雰囲気になっているが、人間の文明を発展させたが故に背負った宿命のような自然界からの反撃であり、これからは文明と自然界との関係にどのように対処すべきかを考えなければならない。人間のからだも、自然の一部であり、一つの宇宙と捉えるべきだろう。
人は転倒するものであり、それは「残酷な真実」であり、どのようによく転ぶかを哲学的・思想的にも深めていくことで、そうした文明の危機に対する突破口を開く、また、人間は転ぶことから大いに学ぶことができる。
転倒予防川柳は面白い。いつか名作ができたら、是非応募してみたい。このように生の講演会を催した、その勇気に深く感銘した、と述べられた。
さすがに『青春の門』『大河の一滴』『親鸞』などの名作・大作を世に出している大作家のお話は、深いものだった。
「転倒」について、さらに、広く、深く考え、その予防を図ると共に、啓発し続ける大切さを改めて認識させられた。青春時代に愛読した随筆集『風に吹かれて』をもう一度開いてみよう。
(2020/10/14)